さて、突然ではあるが画面の前の読者の皆様。時に人は、今この瞬間が最高に幸せである、今この瞬間であれば死んでも良いという瞬間があると言う。ではその、一瞬かもしれないが人生のピークという時に、今死んでも悔いはないなんて口では言えるその時に、果たして貴方は本当に死にたいか。死んで悔いはないか。
何もする事が出来なくなって、あの時は良かったなんて言いながら死ぬか。それとも幸せの絶頂で、幸せに包まれたまま逝くか。貴方はどちらを選ぶだろうか。
特に趣味もない、しいて言えば読書が趣味な「架空」の少年、淀川水面(表紙左)。彼は死にたかった。死を求めていた。だが、彼は只死にたいわけではなかった。彼は「最愛の人に殺されて死にたい」という、破滅的な願望を抱いていた。
そんな彼は「死神」を名乗る少女、神連から一人の少女を紹介される。彼女の名前は浦見みぎり(表紙右)、十八歳、「実在」の少女。そして、「愛する人」を殺したいと願う少女である。
「その代わり、貴方は私に愛されてください。私にとって、最愛の人になってください」
互いの秘めたる願いをさらけ出し合い、みぎりは水面へ願う。いずれ最愛の人になってくれた時、私があなたを殺すから愛されろ、と。
そこから始まる、みぎりのやりたい事を叶えていく日々。
デートがしたいと願われて、水族館を選んだら彼女のトラウマに触れ。
季節外れの浴衣デートをしてみたり、何故か墓場で愛を誓ってみたり。
そんな何処か痛ましく歪な日々の中、二人は互いの過去と心の傷に触れていく。
みぎりは母親から虐待された過去を持ち、水が苦手だった。
そして水面は、「架空」の意味は。何処か壊れて歪の果てに出来上がってしまった心が生み出した、空虚な怪物。放っておいてもいつか必ず、終わりが来る。それはきっとあと数年以内に。崩壊は止められず堤防が崩壊したとき、そこで彼の全てが終わる。
「愛の無い攻撃なんか、全く感じないんだよ」
だが、それでも水面は愛されて殺される事を願った。死神と呼ばれた少女、禁断の愛に縛られた少女に殺されかけても。例えその愛という行為が、全ての終わりまでの猶予を早めるだけだとしても。
「殺さないから、我慢するから、一緒にいてください、お願いします」
「文字通り、人生を懸けた殺人です。貴方のせいで、私は人生を棒に振るんです。実質的な殺人ですよ」
だからこそ、水面とみぎりは向き合い新たな約束を結ぶ。それは、最後まで共にという約束。いつかの果て、共に死なんという約束。
普通に考えれば、何を馬鹿な事をと一蹴されるかもしれない。そんなことはやめろ、と誰かは諭すかもしれない。
だが、そこにあるのは確かに「愛」なのだ。歪でどこか壊れていても。行く先に待つのが二人の破滅だとしても。その共に手を取り合い、死の闇への道を一蓮托生で転がり落ちていくようなそれを、「愛」と呼ばずして何と呼ぶのか。
切なく痛く、だけど何処か温かく。
画面の前の読者の皆様、どうかこの作品を手に取って読んでみてほしい。死と命というものに関して考えてみてほしい。 貴方の答えを聞かせてほしい。
読んだ事の無いラブコメを読んでみたい読者様にはお勧めしたい。
きっと貴方も満足できるはずである。