読書感想:僕らは『読み』を間違える

 

 さて、青春と=で結びつくのは何であろうか。ラブコメという答えが多いかもしれないし、他の答えを上げられる読者様もおられるかもしれない。だがしかし、青春とは基本的にはまだ瑞々しく若い、子供達の時間であり、未だ未熟な子供達は時に拗れて遠回りするものである。だがそんな未熟な遠回りする雛の歩みも、いとおかしと言えるのかもしれない。

 

 

学生というのは、日々なんにでも答えを求めるお年頃。様々なものが気になるし、色々な事が引っ掛かる。器用貧乏を自称する濫読家の少年、優真(表紙左)もまた気になる事に心を揺らしていた。その心とは何か、それは消しゴムに書かれていた告白の文書。それは一体誰からの告白であったのか。器用貧乏なりに答えを見出し、初恋の相手であった文学少女、雅に告白するも見事に玉砕してしまい。失意のあまり高校受験も失敗してしまった彼は、雅とは違う高校で新たな生活のスタートを切る。

 

「ちょっと困っていたとこなんだよ」

 

 ―――新たな日々の始まり、それはミステリーが舞い込む奇特なものとなる。ひょんな事から仲良くなった、まるで太陽のような少女、瀬名(表紙右)。彼女が持ち込んでくる学園の小さな謎たち。それに器用貧乏なりに視点を当て、小さな推理を重ねていく中で。ふとした切っ掛けから、事件同士は繋がり子供達の思いが廻りだす。

 

走れメロス、その知られぬ終わりに隠されたもの、大文豪の死の謎。古典的な様々な作品に隠された謎を彼らなりに考え、作者たちの思いに思考を馳せて。

 

その裏に巡るのは、咲かない桜と謎の鍵が導く伝えられなかった誰かの思い。そこに絡むのは部活の先輩である栞、お互いに一目置く親友、大我、氷の美少女と呼ばれる更紗。

 

一つの時間軸の裏、そこで各々の視点が廻り。誰もが誰かに言えなかった思いが交錯し、そこに付随していくのは青春を拗らせた者達の思い。

 

「だって、ユウが月ならアタシたち一緒にはいられないじゃん」

 

 行き場を見失った想い抱え、それでも何かに手を伸ばす。その中で見つけていく、卑屈になっていた自分に示された新たな生き方、それが背を押し、少しずつ変えていく。その中で少しずつ芽生えていくのである。いつか恋と名付けられるかもしれない、今は未だ名前もない想いの芽が。

 

なるほど、これは確かに全員が当事者で犯人で、被害者なのだ。ミステリーのように群像で語られる、拗れた者達の思い。そこにあるのは等身大の感情と、瑞々しい若さなのである。

 

故にこの作品、定義づけするなら難しいかもしれない。それでも、確かに面白い。胸にすっと入り込んでくる青春の蒼さが、心に効く作品なのである。

 

面倒くさい子供達の青春を覗いてみたい読者様は是非。

 

きっと貴方も満足できるはずである。

 

僕らは『読み』を間違える (角川スニーカー文庫) | 水鏡月 聖, ぽりごん。 |本 | 通販 | Amazon