さて、ラブコメとはつまるところ何なのであろうか、突然ではあるが。ラブコメとは、ヒロインの優先度が一位になる事であり、ヒロインの中でも主人公の事が占める割合が一番となり、そして付き合いだして幸福な結末へと導かれるものを言うとして。もしこの考え方が間違っていないのなら、そこには一切の「妥協」というものは存在していない筈であろう。妥協もなく全てを青春の一瞬に注ぎ込むからこそ。ラブコメはラブコメ、足り得るものかのかもしれない。
だがしかし、画面の前の読者の皆様もご存じであろう。昨今、ラブコメ界においては綺麗なだけではないラブコメも、ラブの醜いエゴである側面を描き出す作品が増えてきている事を。
だが、そのエゴは「リアル」である。ラブコメという皮を被った裏に隠れている、剝き出しの欲望の現実なのである。その全てと言っていいもの全てが描かれているのが、この作品なのである。
「ふふ。今日の私、全然いい子じゃないね」
「桐島くん、唾液ちょうだい」
お見舞いに訪れた二人きりの家で、お互い薄着で密着したり。唾液を交換し合うような、大人がやるような濃密なキスをしたり。
この作品の主人公である桐島と、ヒロインである早坂さん(表紙右)はそんな官能的な触れ合いも平気でする関係である、つまりは恋人関係である。しかし、ある意味において二人の関係は、「偽り」であり「妥協」である。彼等はお互いに、届かぬ高嶺の花に手を伸ばす者同士であり。その花に手が届かぬからこそお互いを相手に選んだ、「二番目同士」なのである。
桐島にとっての憧れ、橘さん(表紙左)。早坂さんにとっての憧れ、柳先輩。しかし懸想すれど届かない、だからこそお互いに特別な相手の事を思い浮かべながらも重なり合う。
それはまるでぬるま湯のような安寧だ。ある意味においての安息だ。・・・だがしかし、画面の前の読者の皆様もご存じではないだろうか? 人の心は移り変わるものである事を。そして、二番目同士の関係で心が移り変わってしまったのならどうなるのか。その安寧は、安息は。二人を縛る鎖となり閉じ込める檻となるのである。
「ごめんね。私、バカだから、どんどん好きになっちゃうんだ」
お互いは特別ではない、その筈なのに。冗談と分かっていても彼が貶されたのなら怒れる程に、彼の存在が心の中で大きくなっていく。手放すという約束を押し潰すかのように、己の心が否定を叫ぶ。お互いがお互いと言う深みの沼に嵌り、抜け出せなくなっていく。
そんな中、明らかにある柳先輩と橘さんの意外な繋がり。その繋がりが教える、もう手は届かぬという厳然たる事実。
「みんなに隠れて、悪いこといっぱいしようよ」
「私、二番目の彼女でいいから」
だが、そんな事は関係ない。常識なんてどうでもいい。そう言わんばかりに、橘さんはまるで妖花のような笑みと共に桐島へと悪魔の契約を持ち掛ける。彼の心を利用し、自らの願いを叶える為に。彼を新たな沼へ引きずり込まんとするかのように手を伸ばしてくる。
嗚呼、何と言う作品がこの世界に産声を上げたのだろう。この作品は、まるで色欲の火箸で頭の中を掻き回してくるかのように畳みかけてくる。理性すら押し潰すかのように各々の激情が駆け抜けてくる。正に火薬庫の入り口で火遊びしているようなひりひりとした緊張感を叩きつけてくる。
だが、だからこそ面白い。只の綺麗なだけじゃない、エゴとリアルを明確に描き切っているからこそこの作品は普通のラブコメとは一線を画しているのである。
只のラブコメに飽きた読者の皆様、頭の中がぐちゃぐちゃになりたい読者様は是非。
きっと貴方も満足できるはずである。