
さて、時に画面の前の読者の皆様はジョン・H・ワトソンという人物をご存じであろうか。戦争帰りの医者である彼は何者か。それは皆様も多分ご存じであろう、あの名探偵シャーロック・ホームズの相棒でありその事件の語り手である。語り手であり目立たぬ、実際カルデアにもその凡庸さ故に英霊としては呼ばれない。しかしホームズには信頼されており、普段は見せないながらもきちんと相棒として愛されている。
例えば風変わりな名字の絡む事件の捜査中に犯人に撃たれた時思いっきり取り乱し、犯人に殺意を向けていたりしたし。 行方不明から帰還した後、妻を亡くしていたワトソンとまた共に暮らす為、彼の医院を自身の遠縁の医者の若者に、自身が金を出して買い取らせたりするほどに。 ではこの作品のワトソン、とは誰か。それは一万人もいるのだ。
突如ネットの海に現れた探偵系Vtuber、ほむる(表紙)。彼女は探偵、しかし捜査はしない。するのは登録者たるリスナー、「ワトソン」達。 殺人事件などの重い事件は扱わず、持ち込まれた事件を、ワトソン達は依頼人に貢献し、撮れ高があり、愛がある「正解」を出し合い競い合う。三回「正解」したワトソンには、モデレーター権限をあげる、というご褒美を目指して。
「私と一緒に探偵をやってほしいの」
そんな彼女を推し始めた、引きこもり気味なVtuberオタクのひかり。ほむるは彼女の推しが転生した存在であり。彼女は幼なじみであり中卒ながらフルスタックエンジニアとして働く啓にワトソンになってほしい、とお願いしてきて。ちゃんと学校に行くこと、を条件に、どうしても権限が欲しいひかりの頭脳となる事に。
最初の事件、それはメタバース内の幽霊。幽霊とは果たして本物か。大切なのは幽霊か否か、ではない。依頼に持ち込まれた思いを読み取る事。
二つ目の事件、それは案件。持ち込まれた格闘ゲームのベータ版、内部プログラムの改変もありな魔境で勝ちぬけという事。協力を依頼するのは、旧知の相手である天才プロゲーマーのサキ。組み合わさるのは、啓の作り出すプログラム。
推理活動の中、生まれていくのは関係性。メタバースで主に活動するクリエイティブ系Vtuber、めたんと好敵手兼盟友的な関係性になったり。その裏、見えるのは啓とひかりの過去。 それぞれ罪と後悔を抱え、負い目があるからこそ繋がり利用し求める、という飛んだ関係。
「あんたが話の通じる人間で良かったよ」
そして、ほむる自身から持ち込まれる依頼。引退する古巣のVtuberのダイイングメッセージ、そこに込められたのは、ほむるの前世、引退する切欠になった醜聞に纏わる謎。解き明かし、黒幕へと接触し。一種暴力的な手を持って、正解を導いて。
「君はね、ダークヒーローだよ」
そんな彼へと接触してきたほむる。彼女自身の願い、目指す先を明かした彼女はワトソンにならないか、と啓を誘い。だけど彼は断る。面倒を見なければいけない奴がいるから、と。
「結構楽しかったかもな。やったことないけど、なんか部活動みたいで」
正解三つ、獲得した権限。頭脳として働く中、覚えていたのは楽しさ。そんな二人の日々はまだ続くのだ。五倍に増えたワトソン達の中で。
日常の事件、そこに潜む謎をエンターテインメントとして昇華し、皆で解き明かす、まさにアンチミステリ。ああ、良き作品だ。残念である。期日通り発売されていたのなら、今年のこのラノで投票できたのに。
正に未知の面白さあふれるこの作品。未体験の面白さを見てみたい方は是非。きっと貴方も満足できるはずである。
Amazon.co.jp: 1/nのワトソン (ガガガ文庫) : 塗田一帆, とり餡子: 本