読書感想:神様のいるこの世界で、獣はヒトの夢を見る

 

 さて、画面の前の読者の皆様の中にはキリスト教信者である方もおられるかもしれない。または仏教徒イスラム教徒な方もおられるかもしれない。この世界には様々な宗教が存在し、その宗教の数だけ神様も存在している訳である。そういった宗教観においては、神様と言うのは実在する存在であろう。しかしこの世界には無神論者といった方も存在しており、そういった方にとっては神様と言うのは非実在の存在であろう。果たして神様と言うのは本当はいるのか、いないのか。答えの出ない命題であろうその問題を、ここでこれ以上明言するのは避けさせていただく。

 

 

どのような考え方であっても、考え方は人それぞれ。神がいるもいないも、結論は人それぞれその心の中にあるであろう。という訳であるが、一先ずこの作品においては、神様はいると諸人の認識の中で信じられている、という前提だけ覚えておいて欲しい。神様と言うのは人間世界に干渉してこない、そんなパターンも多いわけであるが。この作品においては、罪を犯した者は神の差配により、その罪に応じた度合い体を異形に変えられてしまう。つまりはこの世界においては異形というのは罪の証なのである。

 

「どんなに真似したって、あたしらは人間には戻れないよ」

 

そんな異形の者達を「イヴリース」と呼び、しかし罪を償えば元通りに戻れるこの世界で。「蛇殺しの鉄杭」の異名を持つ、神を主と崇める教会に仕える罪人の狩人、ヨシュア。生まれながらに異形をもつ「原罪種」と呼ばれる彼は、同僚であり同類であるイズリル(表紙中央)に諫めながらも、司教であるマルアムの元でイヴリースを狩るある日。みなしごであった少女、カナン(表紙手前)を拾い、ひょんな事から共同生活をする事となる。

 

しかしそれは、大きな運命の流転へと踏み込む入り口に他ならなかった。

 

「”世界の真実”なんていうものが、この世にはあると思うのかい?」

 

 

何故か罪を犯しても異形にはならぬカナン、王都を賑わすむごたらしい事件に迫る中、かつて自分が捕らえた「原初の大蛇」、カインが問いかけてくる世界の矛盾の匂わせ。接触してくるのは態勢の転覆を目論む革命軍。革命軍の首領、ニムロドが示してくるのは隠蔽された世界の真実、そしてカナンに隠された秘密。神への信仰心揺らぐ中、謀反を疑われ、罠にかけてきたニムロドと忠誠を要求してくるマルアムの間で板挟みとなり。結果的にカナンを守る為、大罪を犯す事を選択する。

 

数年後、イズリルの指導の下、力強く成長したカナン。革命軍を継いだニムロドの娘、ノアと共に革命を為すために走り抜ける。その道が騙されているとも知らず。だがそれでも、と突き進む彼女の真っ直ぐさがノアの心に届いて。最後の最後、真の意味で友情を結んだ二人はマルアムの引き起こした大混乱の中、死地に向かおうとする中で。カイン、そして姿を消していたヨシュアが全てを終わらせるために駆け付ける。

 

「―――一緒に、来てくれますか?」

 

未来を生きる者達の為に、と。先を行く罪を背負った者達が全てを連れていくと言わんばかりに吼えて命を散らし。そして残された未来を歩く若者たちにより始まるのである。誰かの作った舞台の上で踊るのではない、自分達で切り開いていく物語が。

 

一冊で満足感を醸し出す重厚感に溢れるダークファンタジーであるこの作品。重く突き刺さってくる作品は好きな読者様は是非。きっと貴方も満足できるはずである。

 

神様のいるこの世界で、獣はヒトの夢を見る (講談社ラノベ文庫) | 紺野 千昭, 木野花 ヒランコ |本 | 通販 | Amazon