読書感想:忘れさせてよ、後輩くん。

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 さて、画面の前の読者の皆様には忘れられぬ恋というものはあられるであろうか。全ての力を注いできたけれど叶わなかった、手はもう届かぬからこそ忘れられぬ燻り続ける、そんな恋心はあられるであろうか。そして、もしその恋心をもう一度叶えられる機会があるとしたら、貴方はその機会にしがみついてしまうのであろうか。

 

 

木更津の片隅の街を揺らすとある噂話。「幸運のイルカに出会えたら、片想いが動き出す」 何事もなく受験勉強に励む少年、夏梅にとっては一笑に付す内容のどうでもいい噂話。

 

「久しぶりだね、夏梅くん。半年ぶりくらいかな?」

 

 だが、イルカの髪飾りをつけた謎の少女、海果との邂逅が確かに彼の恋心を動かす始まりとなる。まるで夏の気紛れな風に運ばれてくるかのように、彼の前に現れたのは年上の先輩であり、初恋相手でもある春瑠(表紙上)。ずっと前から好きだった片想いの相手である。

 

また出会えたことで、また燃え上がる恋心。まるで年下の可愛い後輩を可愛がるかのように振る舞う春瑠に振り回され、けれどそれがまんざらでもなくて。どこか色あせている筈だった彼の夏は、一気に色付き始める。

 

 それで済んでいれば、何かが起こった、それだけで済んだのかもしれない。だが、それだけではない。噂の語られぬ続きが夏梅へと突き付けられる。再びの邂逅を遂げた海果から告げられたのは「陽炎の夏」の訪れ。最愛の人の幻影が現れる、そしてそこに縋ってしまったら戻れなくなるという哀しく切ない、噂話の本当の姿。

 

現れる陽炎は誰か。それは夏梅の兄であり、春瑠の片思い相手であった晴太郎。今はもう手の届かぬ所にいってしまった、夏梅にとっては誰よりも気に食わない実の兄。

 

後輩である冬莉も交え過ごす夏の日々。あの日のように笑い合ったりしながらも、けれど自分は偽物にしかなれぬ。彼女を受け止める事は出来ても、その心を埋める事は出来ぬ。

 

恋心を揺らし燻らせる春瑠、憤りと恋の狭間で揺れる夏梅。そんな二人の前に陽炎の兄は容赦なく姿を見せ、二人の心をかき乱していく。

 

 けれど、これは必要な事なのだ。「陽炎の夏」を乗り越え、終われぬ初恋に終焉と言う救いを齎す為の。

 

想いすれ違い、別離を選んでしまって。だが、そんな中で知ったのは晴太郎の思い。不器用だけれど確かに自分を愛してくれていた、たった一人の兄の優しさ。

 

「・・・・・・さっさと行ってください。あなたがずっと大好きな春瑠センパイのもとへ」

 

その背を押すのは冬莉の言葉と意地悪な笑顔。もう一度見つけた、自分だけが出来る事。

 

だからこそ今、駆けだす。自分の足で追いつくために、彼女を引き留めるために。

 

「僕は―――春瑠先輩が好きです」

 

届けたい只一つの言葉を携え、真っ直ぐに言葉を彼女へぶつけて。

 

「じゃあね、ワタシの初恋。さようなら、大好きだった憧れの先輩」

 

「だいっきらいだったよ、たった一人の兄さん」

 

 その言葉は届き、受け止め、背を押す力となり。かつての約束の場所、大遅刻してきた陽炎へ二人揃って告げるはさよならの言葉。けれど、涙ではなく笑顔で。一歩進む為の、前を向く為の別れの言葉。

 

 

・・・だが、画面の前の読者の皆様。何かお忘れではないだろうか? 二人の夏は一度終わった、けれど夏そのものは、果たして本当に終わったのか?

 

そして、片想いを動き出させるべき者はもう本当にいないのか?

 

そう、これは決して一冊の中に完結するお話ではない。まだここから、本当に始まるお話なのである。

 

何処か切ない関係が好きな読者様、噎せ返る程の青春を摂取したい読者様は是非。

 

きっと貴方も満足できるはずである。

 

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