読書感想:小鳥遊ちゃんは打ち切り漫画を愛しすぎている

 

 

 さて、突然ではあるが画面の前の読者の皆様は基本的にラノベ読者の方も多いと思われるが、漫画くらいなら読まれている、という方もおられるだろう。そしてラノベも漫画も、読んでいるのなら打ち切り、という事態に遭遇された事もあるであろう。隙自語、という訳ではないが私も多分ラノベの打ち切りという事態には多分千作品以上は見届けてきたと思うが、やはりいくらラノベを読んでいても打ち切りというのは悲しいものである。

 

 

しかし資本主義、商売である以上人気のない作品を続けていく、その余地がないと言うのは仕方ない事である。そんな打ち切りにあった作品を愛しているのが、小鳥遊と書いてたかなし、と読むのではなくことり ゆうと読む彼女、遊(表紙右)なのである。

 

「私が求めているのは散り際の美しさです! 土俵際の美学です! 敗者の生き様です!」

 

高校三年生、漫画家志望の里司(表紙左)。「週刊コメット」という大人気雑誌の賞で最終選考まで残って、デビューの為に日々ネームを考える日々。そんな彼が居る漫画研究部の部室に、編集部から発売日前に送られてくるコメットの最新号を目当てに入部した遊がやってきて。日々ネームを悶々と悩む彼の傍ら、打ち切り漫画をこよなく愛し。里司のネームを遠慮なくクソ漫画だとズバッと切り捨てる。

 

「音楽業界でいうところの、CDと配信、みたいな話なんですかねえ」

 

「その辺に関しても転換期なんですねえ、漫画業界」

 

時に、人気漫画を愛する幽霊部員、一日と遊がねちねちと嫌味をぶつけあったり。打ち切り漫画の最後の単行本を探して色々な本屋を巡ったり。何気ない駄弁り、日常の中で。明かされていくのは、遊たちのくせが強めな創作論。人気のない漫画には厳しく、電子書籍や漫画アプリが人権を得てきた事で変わってきた漫画界で、それでも打ち切り漫画を愛する理由。

 

しかしこの作品は駄弁り、日常ものである。別に特別な事が起きたりする訳でもない。文化祭を前に部の廃部が決まって、あっさり受け入れたり。最後の文化祭を普通に過ごしたり、最期の大掃除が少しだけ気合が入ったり。そんな中、里司のデビューが決まって、卒業の時が来て。遊へと告げられた質問、それはまるで打ち切り漫画のように最後に明かされる突拍子もない設定。何故彼女はそんな事になっているのか。

 

「読みたいからですよ」

 

それは、彼女だからこそ。打ち切り漫画と、その作者を愛する彼女だからこそ。

 

「二人でなら、なんとかなるかもしれないからな」

 

そんな彼女へと彼は手を伸ばし。まるで俺達の戦いはこれからだ、と言わんばかりに今度は二人での日々が始まるのである。

 

ちょっぴり毒もある中、ちょっと懐かしい駄弁りな何気ない面白さのあるこの作品。ちょっと懐かしい面白さを見てみたい読者様は是非。きっと貴方も満足できるはずである。

 

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