読書感想:砂の上の1DK

 

 さて、突然ではあるが画面の前の読者の皆様は「砂上の楼閣」、という言葉の意味をご存じであろうか。それは見かけは立派であるが、基礎がしっかりしていないために長続きはしないもの、転じて実現不可能なもの。ではこの作品は、砂の上の1DK、それは立派なものであるのか。そうとは言えぬかもしれぬ、だがそれは確かに実現不可能なのだ。何が実現できぬのか。それはこれから語っていきたい。

 

 

物語の始まる三年前、とある博士により持ち込まれその博士の失踪が原因で詳細不明の研究サンプル、通称「コル=ウアダエ17-C-B」。幽霊の心臓と言う通称で呼ばれるそれは、いわゆる万能細胞の完成形のようなもので。実験に使われたラットの再生と知性の増加を招く、という一部の研究者からすれば恐怖の結果を齎していた。

 

そんなものがあるのなら、誰しもが狙わぬ訳もなく。多数の産業スパイがそれを狙う中、セキュリティ関連のスパイ、宗史は専門外の依頼を断った帰り道、昔なじみの女子大生、沙希未と再会する。暫しの歓談と追憶も束の間、何事もなく分かれた、筈だった。

 

「君は、何だ?」

 

 だがしかし、やり口の派手さと容赦のなさで有名な産業スパイ、梧桐の破壊工作により研究棟は崩壊する事となり。偶々居合わせた沙希未を救うため、宗史は危険を顧みず炎の中に飛び込んでいく。だが、助け出した彼女はかの「幽霊の心臓」に寄生され、それにより命を長らえさせている状態となってしまっていたのである。

 

一先ずは同僚のスパイ、孝太郎の紹介で梧桐から隠れる為セーフハウスに隠れる事になり。だがその中、目覚めた「彼女」は、沙希未の記憶から少しずつ人間を知りながら、全てが興味深いとでも言うかのように周り全てへの興味を隠さない。

 

実験鼠の名前を取ってアルジャーノン(表紙)、彼女との日々は手探りばかり。バケモノを求めては本当にバケモノになってしまうから。だけどどうしても、人間とは違うものとしてか見れない。だからこそ、何処か一線を引いてしまう。最後の一線だけはこれでもかと守り切る。

 

「悪の怪物は、消えるべきだ。君の望みは、間違っていないよ」

 

 だがそれを、アルジャーノンは良しとする。いつかは沙希未に身体を返す事を約束し、急速に人間性を獲得し、不器用にも人間になろうとして、その可能性を閉ざされながらも。仕方ないなあといっそ笑顔で肯定し、それでも最後まで「人間」らしく、「自分」らしくあることを望む。

 

その生き方を見、宗史の心中に過るのは過去の苦い記憶。太陽を捨て暗い世界で生きていく事となった切っ掛け。その過去を見、彼女の元からいっそ逃げるように離れて。だが最後に交わした約束は果たされず、全ては彼の預かり知らぬ所で終わろうとする。

 

「―――喜んで買ってやるよ、その戦争」

 

 そう、全ては終わる筈だった。何もかもの勝負は終わった筈だった。けれどそれを宗史は良しとしなかった。まるで手負いとなった獣が、相手をより狡猾に、完璧に狩ろうとするかのように。闇に隠れるような戦い方を辞め、売られた戦争を正面から買い取った。正に暴れ回る幽霊のように、全てを終わらせたのである、己が命と引き換えに。

 

「さあねえ。行ってみればわかるんじゃないかな、目いっぱいおめかしして」

 

全ては夏の外側で終わった筈で、彼は沙希未の手の届かぬ所へ消えた筈。だがそれは幻想。再び繋がる時、彼と彼女のお話はエピローグを迎え、そして彼と彼女のプロローグに繋がる小さな予感が芽吹くのである。

 

どこか切なく、そして終わりを自覚し受け入れているからこそ美しく。そんな独特の儚さと優しさを見てみたい読者様は是非。

 

きっと貴方も満足できるはずである。

 

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