読書感想:隣の席の元アイドルは、俺のプロデュースがないと生きていけない

 

 さて、突然ではあるが「自分」とは一体何なのであろうか。画面の前の読者の皆様は私を「真白優樹」として認識されていると思うが、そもそも「真白優樹」という「自分」は自己の認識により成り立つものか、それとも他者の認識により成り立つものなのか。「自分」とは一体、何なのであろうか。多種多様、十人十色な形を持つであろうそんな存在。だがそこに明確な正解はなくとも、自分だけの正解はある筈である。

 

 

つまりはこの作品はそんな作品なのである。迷い傷つき、それでも「自分」という存在を探し立ち直っていく物語なのだ。

 

春、其処に待つのは出会いである。人生オール80点、熱中できるものを探す少年、蓮にも一つの出会いが訪れる。幼馴染である大人気アイドルグループの一人、冬華からの突然の電話。それが新たな始まりの合図。

 

「みんな! ミルのこと、見えてるーーーっ?」

 

 彼女からの頼まれ事、それは同じグループの一員であった元アイドル、ミル(表紙)のお世話をしてほしいというもの。彼女にいきなりズバリと本質を指摘され、初の顔合わせは半ば険悪に終わり。しかし転校早々、彼女はアイドル時代の挨拶を行うと言うやらかしをしてしまう。何を隠そう彼女は生活能力皆無だったのである。

 

文字通り「住む世界」が違う、故に相容れない。いるだけで波乱を巻き起こす。だからこそ孤立する。

 

「傷つかなきゃ、一生何も手に入らないよ」

 

だがそれでも、ミルは頑張って「普通」になろうとする。そうありたいと必死に頑張る。その在り方は蓮の心を刺激し。彼もまた、変わりたいと声を上げる。

 

「最後まで、しっかり道連れにするから」

 

 今ここに思い重なる二人の共同戦線が幕を開け、休日の趣味を探したり、文化祭の準備の委員会に入ったり。折しも文化祭と言う時期が迫り出す中、ミルは蓮のあり方に焚きつけられ、文化祭で流す映画へ出ようとする。だがそれは皮肉にも、新たな波乱の呼び水となってしまう。

 

言わば十人トランプを持っている人がいる中で、一人だけがジョーカーを持っているようなもの。やっかみと羨望、悪い感情の渦が巻き起こり、ミルを始めとして、冬華が最推しである級友の委員長、琴乃を始めとする者達を傷つけていく。

 

 傷つけたくないからこそ「フツウ」を演じ、その歪な演技が彼女自身を壊していく。もう見ていられぬとミルの過去を知る事を望んだ蓮に、冬華は悲痛なミルの過去を明かす。自分の天才性が故に周囲を傷つけ、そして悪意と憎悪が自らもまた傷つけ心折れた、という哀しき過去を。

 

「お前の人生だから、変わったっていいんじゃないの?」

 

砂糖菓子のようにコーティングされてきた「アイドル」という自分に隠されていた「ミル」というドロドロでぐちゃぐちゃの自分。こんな自分では愛されぬと封じてきた己。ぶつかり合い向き合い、蓮はそんな彼女も受け入れると叫ぶ。お前とだから変わりたいと叫ぶ。受け止められた、受け入れてくれた。百万のファンよりも、彼だけが。その思いを受けた彼女の中に芽生えるのは、「恋」。そして二人はもう一度、お互いの「これから」を全て対価に協定を結び。ミルの天才性に引っ張られるように、蓮もまた映画作りの中へ飛び込んでいく。

 

 もっと本気で、好きになりたい。曲げられない思いが胸に燃える。気が付けば出来ていた。ずっとしてみたかった生き方が。自分が熱中できるものが、そこにあった。

 

「私のことを、見つけてくれてありがとう」

 

なるほど、正に比翼連理のよう。正しく「生きていけない」。もうミルは、蓮に受け止められた。唯一無二の存在に出会えた。彼女だけの止まり木を見つけた。

 

だが、彼と言う止まり木を欲するのは彼女だけではない。自分の思いをひた隠す琴乃はぐちゃぐちゃな感情を彼に向け。ミルの脱退騒動に自分だけが知る真実を持つ冬華もまた、どろどろな思いを彼だけに向けている。正しく誰もが重くて、面倒くさい。だが、それでいい。だからこそいい。

 

はっきり言ってしまおう、この作品は正に「極上」である。心のど真ん中を優しく、だけど激しく真っ直ぐに撃ち抜いてくる。万の言葉を費やそうと、この面白さは語り切れぬかもしれぬ。

 

なので、画面の前の読者の皆様も是非に何も聞かずこの作品を読んでみてほしい。彼等の足掻きに触れてみてほしい。

 

きっとそこに満足がある筈である。

 

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