読書感想:八城くんのおひとり様講座

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 さて、往々にして高校生辺りのクラスという世界には、リア充と非リア充陽キャ陰キャという区分けが存在しており、隔たりがある。それは物語の世界においても往々にして描かれるもの・・・というのも少し違うのかもしれない。と、言うのも最近は某チラムネのようにリア充側の苦悩を描いた作品も増えてきているし、リア充側にならなくてもいいと啓蒙する作品も増えてきている風潮があるからである。

 

 

だがしかし、こうも考えてみれないだろうか? そもそもなぜ対立するのか? そも、人間とは何処までいっても個々においては違う生き物であり、人と違う所を羨望し比べてみても、それだけでは究極的には意味もない。そもそも別にリア充でも非リア充でも、青春という時間には関係が無い。なれば何を羨む必要がある? 争い合う必要がどこにある?

 

 その果てにあるのは何か。それは一種のディストピア。傷つけあうくらいなら関わらない。そんな相互不干渉の見えない壁にさえぎられたクラス、という様相である。

 

そんな世界の非リア充側に属しながら、特にその立場を気にする事もなくぼっちでも別に問題ないと語る主人公、八城重明君。彼はある日唐突に、見えない壁を越えてきた存在に世界を揺るがされる事になる。

 

その存在の名は華音(表紙)。誰にでも分け隔てなく接するリア充側に属する少女である。

 

けれど、リア充であってリア充に非ず。自分を出す事も出来ずに周りに合わせるだけ。そういう生き方に疲れた彼女に教えを請われ、彼は華音へと一人で過ごす時間の過ごし方を教える事になる。

 

「だからその感性が古いんだって」

 

華音は教わる事になる。皆で出来る事は、一人でも大体楽しめる。そんな信条を掲げる彼だからこその過ごし方を。一人カラオケに代表されるように、一人だからこそ背伸びせずにすむ、考え方の凝り固まった自分では気づけなかった過ごし方を。

 

彼女を心配する親友、智風もまた教わる事になる。リア充側の凝り固まった見方では気づけなかった非リア充の想いを。もはや気にする事もない、という当たり前の事実を。

 

 そんなリア充達との関わり合いにより向こう側の世界へと巻き込まれ、気弱な自分を変えたいという転校生、柚月に絡もうとしていた過去の縛りを彼だからこその視点と考え方で、彼だからこその助け方で救い。そして、リア充と非リア充の垣根をこえたラブコメが始まる。―――そう思われた読者様、それはどうであろうか? この作品が本当にそんな作品であると思われるか? これより先には真実の一端を書くので、知りたくないと言う読者の皆様はここで引き返される事をお勧めする。

 

 

「だってさ、彼女がいるのに、他の女の子と頻繁に出かけるのは問題でしょ?」

 

「まあ諦めたほうがいいぞ。アイツ、彼女にベタ惚れだし」

 

そう、既に八城君には彼女がいる。つまりは恋は成立する事は無い。立ったかと思われたフラグは足元を崩され、さらには徹底的にへし折れている。

 

では、その「彼女」とは何処にいるのか?

 

答え合わせを始めよう。ヒントは何処に? それは彼の口ぶりと動きの端々に。

 

では答えは何処に? それは彼のすぐ近く。誰しもが気付かなかった、すぐ側の彼の世界に。

 

 そう、この作品はリア充と非リア充のラブコメ、では決してない。非リア充の少年がぼっちの過ごし方を啓蒙する裏、「彼女」と何でもない甘い日常を繰り広げるラブコメなのである。

 

さて、ここまで読んで気になったという読者様は、是非この後この作品を購入して読んでみてほしい。

 

まさに青春ラブコメの最先端、ひっくり返るかのような面白さを味わえる筈である。

 

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