さて、突然ではあるが画面の前の読者の皆様。貴方は異性は甘やかしたいか甘やかされたいか、どちらのタイプであろうか。甘えるも甘えられるも、一筋縄ではいかぬかもしれないがどちらが良いだろうか。
舞台は物語が始まる季節、春。名門吹奏楽部のある学園に進学し、吹奏楽部に入部した主人公、拓斗は悩んでいた。吹奏楽部では自分が唯一の初心者であり、当たり前のことが出来ぬという事に。その彼へと師匠になろうかと手を差し出したのは、吹奏楽部のOB、年上の女子大生である恵理那(表紙)であった。
歓迎の意を込め奏でられた音色に惚れこんだ拓斗。しかし恵理那は彼の言葉を、告白の意味であると勘違いしてしまう。そしてここで更にこんがらがる事になる要素が一つ。何を隠そう、恵理那は小悪魔と見せかけておきながらも実際は恋愛音痴、恋愛未経験であったのである。
最初の弟子である小学生、リュシーにアドバイスを受け実践するも何故かバニーガールだったり水着エプロンだったり、と何処かズレた感覚の元に繰り出されるドギマギ必死のアプローチ。
そんな何処かこそばゆい空気の中始まる演奏の指導。その中で判明したのは、拓斗の特異な、未熟で粗削りながらも無限大の可能性を秘めた天才性。
楽譜が読めないのに、耳で聞いただけで初心者には吹けない筈の曲を聴ける形として仕上げ。
音が出せるだけ、と言っておきながら複数の金管楽器を未熟なれど手足のように使いこなし、躍動感と溢れ出すわくわくで観客たちを墜としていく。
その才能の名は「エンジェルリップ」。その無限大の才能を持ちながらも無自覚な拓斗へ、恵理那は敢えて厳しい言葉を突き付ける。
「だから、こっちに連れてきた。キミはそれを自覚して、私を追い越してほしい。キミにはそれが出来る」
未完成な天才の自分とは違って、拓斗はまだまだこれからだから。だけどこのままでは自分と同じになってしまう。だからこそ道の先を往く者として導き、最後には越えさせる。
だが、それだけで良いのか。良い訳なのか。
「恵理那さんは、寂しいんですか?」
投げつけた質問が解き明かす恵理那の過去。先を往く輝きを追いかけすぎて、いつの間にか孤独になってしまっていた過去。見失った自分の音。
だが、今の彼女には拓斗がいて、仲間がいる。自分の音を見つけようとしてくれる、自分に引っ張られるだけではなく背を押してくれる人がいる。
四人で奏でた初めての音、それはまるで引き立てあい高め合うかのように。四つの音が一つに重なる事で心震わす合奏となるのだ。
正しく素晴らしい、純粋に私はそう言いたい。噎せ返るほどに濃厚な音楽描写といじらしくてこそばゆいラブコメが重なり高め合う、正に今の時代に読まれるべき作品であると言いたい。
だからこそ画面の前の読者の皆様。ラブコメ好きな読者様。遊歩新夢先生の作品をこれから読むという読者様も既にファンという読者様も。そして全ての読者の方々も。
どうか心ない感想に惑わされずに一度読んでみてほしい。きっと心に聞いたことのない音が聞こえてくる筈である。