読書感想:見上げるには近すぎる、離れてくれない高瀬さん

 

 さて、突然ではあるが画面の前の読者の皆様。皆様は背が高い方であろうか、低い方であろうか。低い方と言う読者様は、背が高い人の事を羨ましく思われていたりするだろうか。私は背が高い方であるが、正直、高くても良い事ばかりではない。何故なら背が高い程、中腰の体勢を取り続ける事がきついし、目測を少しでも誤ると、本来ぶつけない所に頭をぶつけてしまうからである。

 

 

そんな身長のあれこれ、と言う物も意外と高校生くらいになると何とも言われなくなることが多い。しかし、中学生くらいまでは言われる事が多いのかもしれない。中学生と言えば思春期、彩を知る頃であり、同時に少しずつ大人になりゆく中、心が子供である頃の最後の時間だからである。

 

「女なんて、信用できない!」

 

主人公である水希(表紙右)。中学二年生、身長152センチ。同年代から比べると多分低い方である彼は、告白をしたところ、身長を理由にフラれてしまい。すっかりと性格が捻くれ、思春期らしいどこか斜に構えた態度を取っていた。

 

「教室まで一緒にいこ~」

 

 しかし、そんな彼に割と馴れ馴れしく、かまってくる少女がいた。その名は菜央(表紙左)。身長172センチ、吹奏楽部所属の人気者。だが何故か彼女はいつも、水希にかまってくるのである。

 

定規一本と少し分、その背の違いに劣等感を煽られ。背の高さがすっかりとコンプレックスになっている彼。だが、彼女といると、どうにも胸がざわつく。嫌な筈なのに、離れてほしい筈なのに。なぜかいつも、気付くと行動を共にしている。

 

体力測定で菜央の活躍を見届けたり、一緒に寄り道したり。はじめてスマホを買ってもらった彼女と、連絡先を交換したり。何気ない日々の中、もやもやは高まる。言葉に出来ぬ想いは、膨れていく。

 

だが、思春期と言うものはやはり画面の前の読者の皆様もご存じであろう。一度捻くれてしまったのなら、そう簡単に素直になれる訳じゃない。菜央が場の空気を守る為にした何気ない発言が水希の心を傷つけ、意固地に、半ば捨て鉢に。八つ当たりが如く思いをぶつけ、二人はすれ違ってしまう。

 

だが、水希は知る事となる。菜央の本心を。他の誰が揶揄っても、彼女だけは揶揄わない。そう信じられるだけの思いを、どれだけの思いを隠していたのかを。

 

「―――隣、並んで歩いてもいい?」

 

「・・・・・・わざわざ確認しなくていい」

 

そして、子供の良い所は、片意地を張らぬ事。きちんと謝り、ちょっとだけ過去の事も話して。二人はまた並んで歩きだすのである。

 

高校ではなく中学、思春期だからこその言葉に出来ぬもやもや。そこに隠されているのは作者様のメッセージ。それは彼等を通してだからこそ伝えられるもの。アオハル未満の透明な季節だからこそ、そこにあるものなのである。

 

「見守る系ラブコメ」と言える、どこか心が温かくなるこの作品。色のない、この時期だからこそのラブコメを読んでみたい読者様は是非。

 

きっと貴方も満足できるはずである。

 

見上げるには近すぎる、離れてくれない高瀬さん (GA文庫) | 神田暁一郎, たけの このよう。 |本 | 通販 | Amazon