さて、この世界はまだ存続している。例えば終末時計、といった世界の終わりまでをカウントする時計は今も動いている訳であるが、それがゼロになる機会は未だなく。ではこのように、意外としぶといこの世界は果たしてどうやったら終わるのであろうか。
その理由は例えば創作の世界であれば色々あるであろう。世界的に疫病が流行したり、空から大魔王よろしく隕石が降って来たり。創作に限って言えば、世界は簡単に終わりやすいのである。
この作品もまた、そんなお話である。物語開始の三年前、NASAから発表されたのは直径一キロ少々の小惑星、「メリダ」。直径一キロ少々の小惑星が地球に落ちてくるとどうなるのか。その答えは簡単。衝撃波による被害、更には地殻変動から氷河期の到来まで。一言で言ってしまえば、世界の終わり、地球の滅亡である。そんな発表から二年ほどたって。「メリダ」に対処しようとする一部の有識者と作業者たちを除き。世界の大多数の人間は、滅びから敢えて目を逸らし、いつもと同じように日々を生きていた。絶望的なニュースにはもう飽きたから、と希望だけを見て。生温い優しさの中に生きていたのだ。
「私はね、今が人類の歴史上で一番美しいと思ってる」
滅亡が近づくにつれ、ネットの制限等がされ少しだけ不便になった世界の長崎の街で。たった一人の映研所属部員、小林先輩(表紙右)にとある弱みを握られた少年、弓木(表紙左)は副部長の座を与えられ。ドキュメンタリー映画製作の為、インタビューと言う形で様々な物語に触れていく。
夢を奪われ、ちょっとやさぐれてひねくれた少年と、その幼馴染であり今も尚、夢に向かってひたむきに進む少女の話。
スランプ中の文芸部部長が、場末のゲーセンで出会った少女と共に、ゲームの中で世界を救うお話。
何処かやさぐれてしまった女の子が、とある秘密を持ち追われている少女の秘密を知るお話。
自分だけ助かるチャンスを得た少女が、廃墟を巡るのが趣味な恋人と最後とデートに臨むお話。
「私はね、周りにいる大切な人たちの―――きらめきを世界に伝えたいんだ」
そんな人たちのきらめきを伝えたい、とカメラを向け。そこに彼女自身の思いも込めて映画を撮って。その熱に乗せられ、気が付けば希望を見ていく。終わりかけた世界の中、それは正にどこにでもある青春で。
どこにでもある青春、それはきっと世界が終わる時でも変わらない。汗と涙に塗れ、それでも生きている、こんな世界で。その様子が堪らないのであり。どこかノスタルジーな中に切なさがあるのである。
そんな、仄かな切なさの中に面白さがある作品を見てみたい読者様は是非。きっと貴方も満足できるはずである。