読書感想:冴えない男子高校生にモテ期がやってきた ~今日はじめて、僕は恋に落ちました~

 

 さて、「モテ期」という言葉がこの世にはある。モテ期、それは誰かが憧れるものかもしれない。いつ訪れるのかとそわそわし、手相を見て一喜一憂したりするものかもしれない。ではもし、モテ期というものが実際に分かったのならどうであろうか。ほぼ確実に恋人ができると言う期間がもしも分かる様になったら、画面の前の読者の皆様ならばどうされるであろうか。

 

 

科学者の涙ぐましい努力により、「モテ期」というものが分かるようになったとある現代世界。かの世界に於いては、人生で三回「モテ期」というものが自分にだけ分かる声で告知され、その期間の間は誰からもモテて、告白が百発百中で成功する。正に至れり尽くせり、と言っても過言ではない期間が人生において三回存在する。

 

「しゅきです! 付き合って―――」

 

 だがしかし、とある高校にモテ期に入っていないにも関わらず、何度も違う相手に告白を繰り返す少年がいた。彼の名は公也。彼は何故、モテ期でもないのに「下駄箱前で告白する二年生」として有名になるほどに告白をするのか? それは恋人が欲しいと言う、青春においては当たり前の衝動。そしてモテ期がいつ来るか分からないから、という焦りもあったのである。

 

ではそんなモテ期でもない告白は成功するのか。無論、成功するわけもない。そもそも一目惚れともいえるかも分からぬ告白が成功する道理もない。何度目かの失敗の果て、呆れた先生や周りの友人達に諭され。彼は変わることを決意し、アドバイスを元に「バイト、部活、勉強」の三本の柱に取り組む事を決め。手始めに入部した演劇部で、頑張り屋の同級生、愛里(表紙)、恋多き先輩、美鈴、優しいけれど高圧的な先輩、優芽といった三人の少女に囲まれ、演劇の道を進むことになる。

 

 今までは告白しようと空回りするだけだった、闇雲にもがくだけだった。だが、今、周りを改めて見つめ、当たり前の青春を過ごす事で。今までは見ようとしていなかったものが見え始める。「モテ期」という期間の本当の姿が見えてくる。

 

そも、誰にでもモテるというのは本当に素晴らしい事なのか? 一見すると素晴らしい事かもしれない。だが、「モテ期」というものに振り回される恋があった。モテ期に邪魔され、本命の人に届けようとして届けられずにいた恋もあった。ならばどうすればいいのか。考え、思い、自分に何ができるか模索していく。当たり前の青春を通じ確かに変わりだす中、モテ期は遂に公也の元に訪れ。今までが嘘のように、途端に彼はモテ始める。

 

 恋人が欲しかった、ならもう告白を受けてしまえば良いのではないか? 否、大切なのはそれではない。青春を通じ公也は気づく、本当に必要な事に。大切なことに。

 

「好きです! 僕と付き合ってください!」

 

そう、「恋」は一人ではできない。「恋」は、「モテ期」は自分が大切に想う人と共に紡ぐもの。だからこそ大切なのは、本当の恋を知る事。当たり前が故に気付けなかったことに気付いた時、本当の「告白」は「彼女」の元へと放たれるのだ。

 

瑞々しく遠回り、泥臭くてちょっぴり痛くて。だがこの青春は真っ直ぐだ、そしてこの成長は本物だ。だからこそこの作品は正面から面白いのである。

 

青春という時間が好きな読者様は是非。

 

きっと貴方も満足できるはずである。

 

冴えない男子高校生にモテ期がやってきた ~今日はじめて、僕は恋に落ちました~ (ダッシュエックス文庫) | 常世田 健人, フライ |本 | 通販 | Amazon