読書感想:夜が明けたら朝が来る

 

 さて、親は子供を選べないし子供は親を選べない。だからこそ「親ガチャ」という、子供目線からの造語も生まれるのかもしれぬ。実際、今や毒親という言葉は社会に認知され、毒親による子供の虐待、殺人事件というのは時々ニュースでも放映される訳で。そんな事件を見る度、家族とは何なのか、と思われる方もおられるかもしれぬ。しかし意外と聞かぬ子供に関する話もある。それは取り違えという話。無論起きてはいけぬ事だし、育つ環境を歪めてしまうと言う意味でも絶対の禁忌。しかし、ほぼ無いにせよ起きてしまうのは確かである。

 

 

と、まぁここまで書いてきたわけであるが、取り違えというと社会派な話題で、取り上げるなら一般文芸、と思われる方もおられるかもしれぬ。しかしこの作品では、取り違えを題材とし。家族というものを描いているお話なのである。

 

関門海峡により隔てられた本州と九州。その九州側、門司港に住む高校生、愛咲(表紙)。母子家庭にて、スナックを経営するママに育てられ、下関の高校に通い。歌で身を立てたい、と歌が上手なママに採点されながら育つも中々下手という評価から抜け出せず。

 

「明日から何を生きがいにすればいいんだよ・・・・・・」

 

そんなある日、舞い込んできたのは推しのシンガー、「Yoru」の活動休止。文字通り心のよりどころを失くしたようなもの。続けて舞い込んできたのは、産まれた病院からの衝撃的なお知らせ。それは生まれた時に取り違えられたかもというもの。検査してみれば、ママとの間に血のつながりはなく。下関に居た両親と顔合わせをし、おかあさんとおとうさんの元で少しの間、暮らしてみることになる。

 

今までの人生とは違い、生活は苦しくもなく穏やかに満たされた日々。その中で、ひょんな事から知るのは衝撃の事実。おかあさん達の子供として育てられた娘、沙夜こそが「Yoru」であり。遺伝性の病気で亡くなって、もう会えぬと言う事。推しに永遠に会えぬと言う事実を受け止めさせられ、ママの元に帰りたいというのと、帰るのが寂しいと思っている自分に気付かされ。

 

「ママね。もう自信がなくなっちゃった」

 

比例するように、ママも母親の自分に自信を無くしていく。下関の本当の家族の方が幸せにできるのではないかと。 下関の方で暮らせ、と敢えて突き放し、自身は店をたたもうとして。

 

そんな中で知っていくのは沙夜の素顔。 ママの本当の娘、ママに本当にそっくり。当然である、本当の娘なんだから。

 

「私が歌が好きなのは、ママからもらったんだよ」

 

だけど、自分にだって。愛咲にだってある。 血のつながりは貰えずとも、歌という繋がりは。実の娘のように、同じように。 それを真っ直ぐに伝えて、もう一度家族になり。 リスタートするのである。

 

沙夜という夜が明けて、愛咲という朝が来る。 子供は親の元に帰って、親は子供と手を繋いで。家族が家族になる、そんな心温まるお話である今作品。是非沢山の方に読んでみて欲しい。

 

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