読書感想:琥珀の秋、0秒の旅

 

 さて、突然ではあるが画面の前の読者の皆様は旅に出るのであればどんな手段を使ってみたいだろうか。某ゆるキャンのようにスクーターで走りたい、某スーパーカブのように原付で走りたい、そんな欲望を抱かれている読者様もおられるかもしれない。では今の時代、徒歩で旅をしてみたいと言う読者様はどれだけおられるのだろうか。

 

 

徒歩で長距離旅をすると言うと、名作であるどこぞの三千里の旅を連想される読者様もおられるかもしれない。しかし、徒歩での旅と言うのは無論言うまでもないが大変なものである。だがこの作品では三千里とはいかぬも、長い距離を徒歩で旅する事となるのである。

 

夏と冬の狭間の季節、秋。修学旅行で北海道を訪れた少年、カヤト。とある過去から人に触れる事が出来ず集団行動を苦手とする彼は、ひょんな事から折角一緒に行動していたグループの仲間達と離れ、北海道の街中に一人となっていた。

 

「誰だ、あんた」

 

 しかし耐えるしかないと決意した直後。突如静寂が鳴り響くと共に、世界は静止していた。それはもう文字通りに、全てが何もかも一瞬前の姿のままに。そんな世界で唯一彼以外に動いている人間が一人。その名はあきら(表紙)。一見不良めいた地元の少女である。

 

「何言ってんだ。あんたも来るんだよ」

 

それぞれ周りを探ってみるも動いているものは見つけられず。そんな中、カヤトが思い出したのは「琥珀の秋」という言葉。少し前に亡くなった叔父、暮彦が遺したその言葉にあきらは何らかの鍵であることを賭け。カヤトも引っ張り、二人は東京にある叔父の家を目指す事となる。

 

 北海道から東京へ。それは徒歩で行くには長きに過ぎる距離。それでも行くしかない。正反対な二人の旅は静かに、確かに始まっていく。

 

まずは青函トンネルを時間をかけて抜け、道を進む中で通りかかった小学校に泊まったり。道行く先のとある街、飛び降り自殺をしようとしていた女性を救ってみたり、海沿いを歩いたり。時間が戻る気配もない中、時にぶつかり合いながら。カヤトとあきらは少しずつお互いの事を話し、相互理解を深めていく。

 

カヤトの過去、そこにある人に触れなくなった理由。あきらの秘めたもの、亭主関白な父に起因する家庭問題に家出し、当てもなく彷徨っていたというもの。

 

「明日は、何する?」

 

お互いの触れられたくない所に触れぬよう、不器用ながらも交流し、子どもの好奇心のままに気ままに寄り道をしたりしながら。辿り着いた叔父の家、そこで待っていたのは一枚の絵。そしてこの事態は実は何度も起きていると言う事と、希望を抱けばいつか終わると言う事。

 

「違うな。今をちゃんと生きてるだけだ」

 

 生きると言うのはどういうことか、モラトリアムのような時間の中で。何となくを積み重ね生きていく、不安を抱えて。見つけ出した矢先、何でもない希望から停止した世界は終わりを告げ、カヤトの中から一連の時代の記憶は消える。

 

この不思議な時間は彼に何も残さなかったのか。否、彼の中に一つの変化を残していた。消えぬものを残していた。

 

「なんでもいいから話さなきゃって、思ったんだ」

 

何でもない事を積み重ね、ちょっとだけ前向きになって歩き出し。果たされた再会、何も覚えてはいないけれど、それでも心の隅、残っている思いのままに声を掛ける。それは彼の小さな成長の証なのだ。

 

ちょっと不思議で、切なくて寂しくて、でも優しい味のするこの作品。独特の空気が好きな読者様は是非。

 

きっと貴方も満足できるはずである。

 

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