読書感想:三角の距離は限りないゼロ



 さて、突然ではあるが画面の前の読者の皆様に一つ問うてみよう。画面の前の読者の皆様は「自分」というものは一体どういう存在であると思われているであろうか。自分とは果たして一体何なのであろうか。自分と言う個の存在から見た己が自分なのか。それとも、誰かの目を通してみた己が自分なのか。といった哲学的染みた問答をしてみても、他社と己が思う自分と言う存在の間には何かしらの乖離があるのかもしれない。そういう点においては、ある種人間と言う存在も生きづらいのかもしれぬ。

 

 

そういう点においては、今作品の主人公、四季もまた生きづらさを抱えているのかもしれぬ。本当は誰にも構われず一人で本を読むのが好きな内向的な一面を持ちながらも、そんな一面を誰にも言う事が出来ず。常に周りの人物の望む仮面を被り、「偽り」の自分を演じてしまう。

 

「―――わたしはそんなこと気にしないで、胸を張って生きていけばいいと思うけど」

 

「ごめん秋玻ぁ・・・・・・初日からバレちゃったぁ・・・・・・」

 

 けれど、唐突に現れた彼女はあっさりと自分を肯定してくれた。気が付けば話していた、恋に落ちていた。しかし彼女は一人ではない。彼女は「秋玻」であり「春珂」。(表紙)一人で二人、何を隠そう彼女達は二重人格なのである。

 

彼が惚れたのは秋玻、友達になったのは春珂。秋玻の為にも、と日常生活での協力を申し出て、まずは友達同士として関わり始める四季。転校生であり未だ周りとも馴染めていない彼女のサポートをしながら、彼もまた不器用に偽りの自分から一歩、踏み出していく。

 

 

 級友とのお台場へのお出かけ、それは春珂にずっと遠慮を続けてきた秋玻にとっては初めての時間。彼女の思いを感じ取った春珂は不器用なお礼を四季にしようとして、思わず心揺れた彼の様子を鋭敏に感じ取った秋玻は、どこか大罪を告白するかのように、悲し気に謝罪を口にする。

 

秋玻が語った終わりの時が近づいていると言う言葉。その原因は、春珂という存在の否定。その告白に衝撃を受ける四季の手を離し、秋玻は距離をとる。

 

「それは―――矢野君だけだと思うの」

 

だけど、掻き回しただけかもしれなくても。確かに今、何とかできるかもしれぬのは四季だけ。担任である百瀬の後押しでもう一度四季は秋玻達と向き合い、彼女が明かした醜い思いも纏めて受け止めようとする。

 

「―――君が好きなんだから」

 

 春珂は特別、だけど秋玻だって大切。だって好きだから。いくら自分で醜いと言っていても、それでも好きになったのだから。精一杯の告白、それは一つではなく二つに増え。自分を偽ることを辞め、四季は一歩前に踏み出す。

 

「矢野君―――好きだよ」

 

その思い、確かに届いて、恋になり。 「彼女」の中にも確かに芽生えるのは四季と同じ思い。

 

青くて瑞々しくて、何処か痛くて透き通っていて。そんな輝きに満ちたこの作品だからこそ愛おしい。だがまだ始まりはここから。一歩、始まりの扉の前に立ったに過ぎぬ。

 

だからこそ、お楽しみはここからである。

 

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