読書雑記:「突然企画」ライトノベルに関する宣伝、批評についてなお話。

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こんばんは。ライトノベルの宣伝ってそんなに悪い事なのかと思う真白優樹です。本日はいつもの感想記事を投稿する前に、暫し本日のtwitterで話題となっていたとある考えについて私の意見を言いたいと思います。因みに私は中立派ですので読む前にその点についてご理解いただけますと幸いです。

 

自作を宣伝しまくるラノベ作家に言いたいこと。批評を許さないラノベ作家に言いたいこと。|ライリー|note

 

上記が本日、twitterで話題となっていた記事です。まず初めに私個人としての位置意見を申しますならば、この記事を書かれた人の意見も主張は理解できるという点があり、無論ですが私もライトノベルという作品への批評は肯定するのも批判するのも自由であり、それが当然の権利だと思います。ですがそれはどうかなと思う点も様々個人的には見受けられたので、以下にその点を語っていきたいと思います。

 

①:そもそもつまらないというのは誰が決めたの、というお話。

 

さて、上記の記事においてはつまらないという感想を読者の胸の中にとどめておく義務があるのかと書いており、つまらない作品は宣伝するなと言うのは暴論であると語っている。無論、つまらないと思ったのならばそれは仕方ないかもしれない。面白いと感じる読者もいればつまらないと感じる読者もいる、これも当たり前かもしれない。

 

しかし私はこう思う。「つまらない」という感情は客観ではなく主観である。その主観が未読の読者の精神に浸透してしまうのはいかがなものかと。

 

つまらない、その感情一つとっても様々に理由はある筈。しかし、つまらないというのはその作品が自分には合わなかったという事からきた感情であると私は思う。無論、つまらないというのは仕方ない。防げない感情だ。だが、それは個人の主観である。客観ではない。そのような主観の感想を広めるという事はその作品をまだ見ていない読者に、その作品と出会う機会を奪ってしまう結果を招いてしまうと私は思う。勿論批判するのは止められないかもしれない。だけど、その批判の方法を少し考えてみても良いのではないだろうか。こういう点が自分には合わなかった、だからそういう点が合う人には読んでほしい。例えばこのように言い方を変える事は出来ないだろうか。批判するのは自由であってほしいが、その批判で読者との出会いを潰し、その果てに作品の未来を潰してはいけないと私は言いたい。

 

また、上記の記事では作品が売れないのは作品の質が悪いから。だから宣伝する前に作品の質を高めるべきと言っている。これに対して、私は思う事がある。

 

②:批判する自由があるのなら宣伝する自由はある。そして宣伝するからこそ作品との出会いがあるのも確かであり、宣伝を止める権利は誰にもないのではというお話。

 

上記の記事を書かれた方は自分は週に一度新刊情報をチェックしているらしく、発売後に宣伝しているツイートが無駄であると語っている。

 

しかし私は言いたい。その調べ方をしている人が全員ではない筈という事を。

 

そもそも予め新刊情報を確認、購入する本を決めているという読者も確かに存在しているだろう。そこは確かなはず。しかし、何を買うか決めず心のままに買っている読者の方がいるのも確かなはずだ。そしてtwitterというのはいいねとリツイートでどこまでも広がっていき思わぬ所までつながっていったりするシステムである。だからこそ、宣伝ツイートが新たな読者との出会いとなり、購買力への一つの原動力となるのも確かな筈ではないか。

 

そして私はこう言いたい。つまらない、売れなくて当然なんて決めつける権利は誰にもないと。価値がないなんて誰にも決める権利はないと断言したい。

 

全てのライトノベルという作品は生まれるべくして生まれ、読者と出会い読まれるために存在し、続刊という未来へと続く為の可能性を持っているはずである。

 

そして、全ての作品は作者という生みの親の今できる最高の質が込められ、面白いと思うからこそ世に出てきているはずだ。だからこそ作品の質が悪いなどどいう主観は個人の胸の中にある考えであり、それが普遍的だとは思わないでほしい。

 

つまらない作品があたかも面白いように、それもまた主観である。誰かがつまらないと思う作品が誰かにとって宝物となる事だってあるはずだ。

 

確かに作家や編集者の意見によって読者の心が折られるかもしれない。だが読者の意見が作家の心を折るのも事実。つまらない作品をつかまされたという失望を味わったのなら、また新しい作品を探せば良いのではないか。売れない筈の作品、そう断言するのはどうなのか。それは主観による決めつけではないのか。

 

そして宣伝するからこそ読まれる。だからこそ肯定にしても批判にしても評価が生まれるのではないか。

 

③:結局のところ、批評もまた一つの指標という話。

 

ここまで長々と語ってきたが、作品への批評もまた購入への一つの指標となるのは確かであると私は思う。だからこそ、批評を絶対的なものと考えるのではなく総合的に判断し、自分の心を信じて色眼鏡に囚われずに新しい作品と出逢ってほしい。私はそう思う次第である。