さて、突然ではあるが画面の前の読者の皆様、貴方はアニゴジことゴジラ映画初の長編アニメーション作品として公開されたアニメ三部作はご覧になられたことはあるだろうか。もし見ておられるのであれば話は早く、見ていない場合は是非見てみてもらいたい。
因みに三部作全て、友達と一緒に見たものの、哀れにも儚い希望を抱いてゴジラに立ち向かい蹂躙され絶望する登場人物達が一番楽しめたと言ったらドン引きされたのがこの私である。仕方ないじゃない、人類なんて滅んでしまえばいいとこの映画を見ていた中では思っていたので。
さて、では角川文庫より発刊されたこの二作品は一体、何を描いているのか? その答えは只一つ、前日譚である。そして愚かしくも輝かしい繁栄の歴史を作り上げていた人類の世界が滅んでいく最後の景色を描いた作品なのである。
その日、人類は怪獣に出会った。誰も知らぬ絶望が突然に非日常を呼び込んだ。ニューヨークの街を絶望に追い込み、人類に怪獣の脅威を叩きつけた怪獣、その名はカマキラス。カマキラスの撃退を辛くも成し遂げた人類に対し襲い掛かるは宇宙からの来訪者、ドゴラ。
そう、その日人類と怪獣の争いの歴史は始まったのだ。そして、怪獣の脅威に慣れ始めた頃、人類はゴジラという本物の絶望を知る。
インタビュアーとして話を聞く耳を向けていた、ハルオの父親であるアキラへと生き残った人々が口々に告げるのは絶望したあの日の思い出。
その思い出が語る通り、ゴジラがこれでもかと思い知らせてきたのは人類なんて無力であり、神の前に滅ぼされるしかない塵芥であるという事だ。
怪獣黙示録で語られる世界中で巻き起こっていた戦いの中、人類が様々な怪獣を相手に収めた勝利は確かにあった。しかし、その後を描いたプロジェクト・メカゴジラ。その中で語られていたのは陰惨にして凄惨な戦いの記録だ。
メカゴジラを守る為、多くの精鋭達がゴジラを北アフリカ大陸へ誘導する為に戦い、まるで王が往く道をその血で染め上げるかのように散って逝った。荒廃した世界で生きていた子供達すらも巻き添えとして。
凍土から掘り出された怪獣、ガイガンも犠牲となり、挙句の果てにはヒマラヤの壮麗な山々すらも核で切り崩した、ゴジラを生き埋めにするために。
だが、奴はそんな人類の悪あがきを鼻で笑うかのように悠然と立ち上がり突き進み、人類を絶望へと追い込んだのである。
最終決戦すら徒労と化し、東京すらも炎で染めて。その炎の中、無垢な子供達はメカゴジラの到着を信じ歌い、だけど真実を知った大人達は絶望し。
だがそれでも、誰もが自分の戦いを精一杯生き抜いていたのだ。絶望の中、必死で抗い希望を信じて散って逝ったのだ。
「おかえりなさい」
最後に込められたこの言葉。いつか帰ってくるはずの同胞達に届けと書かれたこの言葉は果たして届いたのか。帰還した同胞たちがどうなったのか。それは是非、映画を見て確かめてほしい。
この作品を読む際は映画三部作を見た後で。その方が楽しめる筈である。